今回も、先日引退しました4年生からの、今までの陸上人生を振り返った感想を掲載いたします!
万木大夢(短距離)
お世話になっております。
法政大学短距離ブロック4年の万木大夢です。
まず初めに、この4年間、大学で競技を続けるにあたりお世話になった皆様へ、心より感謝申し上げます。
レースプランの悩みを瞬時に言語化し、共に解決策を導いてくださった苅部監督。毎レース、笑顔で招集所へ送り出していただきました。
4年春学期の火曜1限の授業でご指導いただき、移行期間には一緒にクロカンランにも行ってくださった坪田駅伝監督。
練習やレースに限らず、朝早くから夜遅くまで常に選手ファーストで動いてくださったマネージャーの皆さん。
選手の身体の不調や怪我に真摯に向き合い、支えてくださったトレーナーの皆さん。
報奨金の支給をはじめ、日々の活動を支えてくださったOB会の皆様。
会場に足を運び、力強い声援を送ってくださった法政大学陸上競技部のファンの皆様。
4年間、どんな壁も共に乗り越えてきた最高の同期。
そして最後に、常に自分を信じ、見守り続けてくれた家族。
数え切れないほど多くの方々の支えがあって競技生活を続けられたことを、身に染みて感じています。本当にありがとうございました。
私が陸上競技に出会ったのは高校2年生の頃でした。約13年間続けたサッカーに区切りをつけ、「新しいことに挑戦したい」という思いから陸上競技部へ入部しました。高校時代は右も左も分からないまま、ひたすら距離を踏む毎日。競技歴わずか1年で迎えたラストイヤーはインターハイ出場こそ叶いましたが、結果は予選敗退でした。
その悔しさを胸に「国内トップの環境で、もっと強くなりたい」と思い、法政大学陸上競技部への入部を決意しました。
入学して間もない頃に迎えた第101回関東インカレ。正ユニを着て走る実感も湧かないままスタートラインに立った私は、大きな不安に襲われました。400mは予選落ち、マイルは予選のみの出場。緊迫した雰囲気の中で行われたマイル決勝をスタンドから見て、「走らなくてよかった」と感じてしまった自分がいました。実力不足はもちろん、大舞台の空気に耐えられるメンタルが当時の自分にはありませんでした。
そんな感情が大きく変わったのが、2年時に地元・熊谷で開催された第92回日本インカレです。先輩方に支えられながら予選1着で決勝進出を決めましたが、決勝は出走ならず。その瞬間、初めて「悔しい」と心の底から思えました。決勝を観るのが辛いと感じるほどの気持ちが芽生えるなんて、1年前の自分では想像できませんでした。
そして3年時、第103回関東インカレで念願の決勝の舞台へ。会場は1年時と同じ国立競技場でした。当時の自分が、3年後の自分がこの舞台で走ると言ったらきっと信じなかったと思います。結果は、マイルリレーで16年ぶりの優勝。本当に貴重な経験をさせていただきました。
最終学年となった今年度は、「H」を背負って立つ覚悟と誇りを胸に、チームを牽引する責任感を持って戦い抜きました。求めていた結果には届きませんでしたが、後輩の模範となれる行動を心がけてきたつもりです。
長くなりましたが、法政大学陸上競技部で過ごした4年間は、競技者としてだけでなく、一人の人間として成長する機会に満ちた日々でした。改めて、この4年間で関わってくださったすべての皆様に深く感謝申し上げます。
三浦匠(短距離)
4ブロと8ブロに少しだけ居た三浦です。
私の大学陸上生活は、これといった成績を残すことができず、試合にもあまり出場できないという結果でした。しかし、そのような中でも、同期の仲間や仲良くしてくれた後輩たちのおかげで、最後まで走り切ることができました。
特に同期のトレーナーや鴇田さんには大変お世話になりました。日々のケアや補強、治療の提案などを通して、常に支えていただき、私自身よりも私の身体を理解してくれていると感じるほどでした。本当に感謝しています。
後輩の皆さんが、怪我・後悔・葛藤の「3K」のない陸上競技人生を送れることを、心から応援しています。
4年間、本当に楽しかったです。ありがとうございました。
小室凜太郎(中距離)
中距離ブロック(8ブロ)4年の小室凜太郎です。大学では4年間、1500mを中心に競技に取り組みました。4年生メッセージということで、お世話になった方々に感謝の意を表するとともに、これまでの競技人生を振り返り、後輩にメッセージを残したいと思います。
はじめに、4年間の活動でお世話になった方々に感謝申し上げます。まず、監督をはじめとするスタッフ方には部を運営していただきありがとうございます。また、苅部監督・坪田監督にはお忙しい中、自分の相談に乗っていただきありがとうございました。次に、マネさんやトレーナーさんにはお世話になりました。大会・記録会のエントリー、動画撮影、日々のタイム計測などありがとうございました。とくに自分は1人で練習することが多かったですが、タイムを測ってもらいました。非常に助かりました。また、自分はトレーナールームを利用することは少なかったですが、顔を出した時には声をかけてくださりありがとうございます。つづいて、4年間共に活動してくれた同期の皆さん、日々共に練習をしてくれた8ブロの先輩方・後輩たちにも感謝いたします。最後に、両親には大学に通わせてもらったことに加え、日々の生活を支えてもらいました。法政大学に通ったことで貴重な経験を得ることができました。
さて、10年間の競技人生を振り返ります。陸上競技を始めたのは中学生の頃です。小学生の頃に箱根駅伝を観戦し自分も襷を繋ぎたいと思い、横浜市立大綱中学校の陸上競技部に入部しました。1年生の頃は駅伝メンバーに入ることができませんでしたが、顧問の先生・チームメイト・練習環境に恵まれ、3年生の頃は駅伝主将・準エースとしてチームを牽引し関東大会への切符を手に入れました。
高校は神奈川県立希望ケ丘高校に進学し3000mSCで南関東大会出場を目指しました。当初、この競技に取り組むつもりは全くありませんでしたが、1年生の7月に3000m SCに出場したことを契機にのめり込みました。チームメイトと共に自主朝練で障害・水濠の越え方を研究し1分近く記録を縮め、2年生の頃は県内の同学年でトップに立ち目標にぐっと近づきました。しかし、3年生の頃はコロナ禍により軒並み大会が中止してしまいます。大変な時期でありましたが9月に記録会が開催され、これが高校で最後のレースとなりました。この記録会では全国高等学校陸上競技大会の出場権を狙いましたが、全く及ばず悔しい思いを残したまま高校陸上を終えました。
1年半ほどのブランクを経て大学で陸上競技を再開しました。当然ながら入部当初は全く練習につくことができませんでした。試しに中距離ブロックの練習(1000m)に参加したところ、先輩たちと100m以上離されてしまい、途中離脱したと思われたのかマネさんにタイムを測ってもらえなかったことを今でも覚えています。思っていた以上に自分の体力が落ちたことを痛感しましたが、少しずつ練習を積み重ねました。その結果、3ヶ月で1500m高校ベスト(4分5秒75)まで2秒に迫り、半年後には4分00秒11と自己ベストの更新に加え、3分台を十分狙える位置まで到達しました。
しかし、それから2年間記録を更新することができませんでした。言い訳っぽく聞こえてしまいますが、原因は部活動に集中できなかったことが挙げられます。特に3年次は学部の成績最優秀者を目指しながらゼミ長を務め、極め付けにアルバイトの時間を増やすなど、明らかにキャパオーバーでした。この中で最も大変だったのがゼミ活動でこれに時間と精神を費やしてしまい、手を出したこと全てが中途半端な状態になってしまいました。この状況を打開するために、苅部監督とも相談し8月末から無期限で部活を休むことにしました。休部中はゼミ活動とアルバイトに集中し、大方やるべきことを片付けてから10月ごろ部活に復帰しました。2度目の再開です。ただ、今度は翌年が最終学年であるため、これまで以上に集中して練習に励みました。そして迎えたラストシーズン、ついに1500mで4分を切ることができ、2年間変動がなかった自己ベストを更新することができました。
こうして10年間を振り返ると、全中・インターハイ・インカレなどの大規模な大会とは無縁でしたが、どの段階でも記録を伸ばし続けることができ、非常に充実した競技人生であったと思います。また、目標に向けて試行錯誤しながら毎日を送れたことも有意義な経験でした。この経験はこの先にも活かしていきたいです。
最後に、後輩たちにメッセージを送ります。現在、法政大学体育会陸上競技部で活動する皆さんは自発的に目標に向けて努力できると思います。是非ともそれを継続してください。また、4年間は本当にあっという間です。1日1日を大切にしてください。
次回もぜひご覧ください!

