本日、4年生のメッセージ第7回目!!
今回は田橋柚希乃(400mH).河合聡宏(800m)のメッセージです!
田橋柚希乃
私の大学4年間の目標は「日本インカレに400mHで出場すること」でした。しかし、蓋を開けてみれば、その日本インカレの舞台には3回も立たせていただけて、マイルも含めて、それ以上の経験を沢山させていただくことが出来ました。当たり前のようにインカレの選手に選んでいただけたり、グランプリにも出場出来たり、表彰台に立つことが出来たり、ライオンメダルを貰えたり、、環境にも恵まれて、私は本当に幸せ者だなと、今4年間を振り返って1番強く感じています。
笑いあり涙ありの4年間でしたが、私は間違いなく周りの方々の支えのおかげで頑張り続けることが出来ました。練習の時は声を掛け励まし合ったり、苦しい時に「大丈夫だよ」と声をかけてくれたり、試合前緊張しいな私に「自信もって!」「頑張れ!」と応援してくれる人がいたり、そのような当たり前では無い多くの支えがあって、私はこうして強くなることが出来ました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、大学でも競技を続けることを選択してくれた高校3年生の時の自分にも感謝を伝えたいと思います。
私は卒業後も競技を続けさせていただきます。これからも、法政大学で皆と一緒に頑張れることを嬉しく思いますし、とても楽しみです。あと1つ、抱いている夢を必ず叶えて、結果で恩返しが出来るように精一杯頑張ります。今後とも応援の程よろしくお願いいたします。
河合聡宏
主に800mを走っていました4年の河合聡宏です。中学から約10年行ってきた陸上競技を引退しました。
マネージャーさんからは自由に述べてくれと言われたのですが、何書けばいいかわからないのでとりあえずこれまでの陸上人生を振り返ってみようと思います。
私は中学生から陸上を始めました。
当初は小学校から続けていたサッカー部や小学校のクラブ活動で行っていたバスケ部に入ろうと思っていました。
ですが、仮入部に行ってみたらどちらも思っていたのと違う!となって、どうしようか迷っていた時に小学校の応援団で仲の良かった先輩2人が陸上部の長距離に入っていたこともあり、その縁で陸上部に入部しました。
しかし、当時は全く足の速い部類どころかなんなら遅い部類でした。小学4年生までは50mを10秒台で走ってたり、中学1年生の体力テストの1500mでは6分40秒くらいで走ってたりするレベルでした。ただ1年生の終わりには1500mを4分57秒で走っていて同期で一緒に練習してた子と一緒に5分を切り2人で喜んだのは今でも思い出せるくらい嬉しかったことを覚えています。
2年生では1500mは4分31秒くらいで走るようになり、チームでは駅伝のメンバーに入るようになりました。市駅伝で12番以内に入って県駅伝に出ることを目標としていましたが、結果は14番。先輩たちと号泣し、これが初めて陸上で泣いた出来事でした。
2年生から3年生に上がるタイミングの冬季練習ではその悔しさを晴らすために、周りのサポートもあり死に物狂いで練習しました。指導してくださった2人の先生が県強化指定のコーチだったこともあり、千葉県との湾岸トライアルに連れて行ってもらったり、また当時の1500m神奈川県記録保持者だった方をコーチとして呼んでくださったり本当にサポートが手厚かったです。
中学3年生ではその甲斐もあり、初めて県大会に出場することができました。全国大会の標準を切ることはできなかったもののそれに迫る4分11秒で走ったり、市総体1500m2位、県総体5位の結果だったり、市駅伝では県駅伝には進めなかったものの2区で30人超抜きも達成し陸上スタート時から比べると良い成績を収めることができました。
高校は県内の公立トップ校の一つであった柏陽高校に進学しました。
複数校陸上推薦はいただいていたものの、陸上だけでなく広い視野を持ってほしいという親の意見に納得し、直近で全国大会に八種競技で出場していた先輩がいたこともあり選びました。
ただ高校は陸上に関して言えば中学と比べると大分苦戦しました。3年間通じて県大会決勝にも行けず、1年次後半に1500mから800mに種目転換したものの結果的に高校最後の県大会となった2年次の県新人では10番、着順を約0.5秒差で逃し自分よりも当時のマネージャーが大号泣していたことが悔しくて、来年は絶対関東大会に行くと意気込んでいました。
しかし、3年次は新型コロナの影響で総体路線は中止になり心にぽっかり穴が空いたような1年を過ごしました。
そして一般入試で法政大学に入学しました。目標は関東インカレに出場することでした。
総体路線を走れずその不完全燃焼から続けた競技でしたが、今となっては法政を選んだ選択、続けた選択に後悔は全くなく、やり切ったという気持ちの方が強くあります。
大学では1年次に関東選手権のマイルで現神奈川県大学記録をマークし、2年次には関東インカレ初出場、3年次はパッとする結果は出なかったものの、4年次では2年ぶりの関東インカレ、初めての日本インカレ、初めての日本選手権リレー、初めてのGPに出場し、普通の人ではできない経験をさせていただきました。
ここで競技を続けさせてくれた、家族、苅部監督には感謝しかありません。
本当にありがとうございました。
また、これまでの陸上人生で関わってきた方々にも感謝を伝えたいです。
ありがとうございました。
競技を続ける同期、後輩、そしてOBの先輩方が良い成績を収めることを心から応援しています!
拙く長い文章でしたが、ご拝読いただきありがとうございました!